Cahier-Sonore
音の手帖
2026.06.18
創作の手帖
−過去と現在、その共鳴−
初夏の京都。雑踏の中で行き交うひとびとの眼差しを喫茶店の窓から眺めていた。ひとというものは連続した時の流れを生きている。たとえ過去のことだとしても、過去が積み重なることによって現在があり、そのひとのなかにその過去がまだ生きているのであれば、その過去を否定する資格は他者にはない。その不可侵な世界をまずは認めることこそが誠実さというものである。
ぼんやりとしていたせいで手元からコーヒーをわずかにこぼしてしまった。落ちてゆくコーヒーのしずく。
それは、淡い日差しにつつまれた春のことだった。大学で過ごした初めての春休みに、わたしは独奏作品を書いた。大学から提出が求められたわけでもなく、課題として与えられたわけでもなく、そして、もちろんのこと依頼を受けたわけでもなく、つまり誰からも求められることもなく作品を作るということは、もっと無垢なこころを持っていた頃に無邪気に作品を書いたとき以来のことだったように思う。そういった場合、その創作におけるきっかけというものはおおよそ見当がつく。それは純粋に芸術的な欲求から作るのか、もしくは純粋に誰かに献呈するために作るのかのどちらかだろう。もっとも、この2つのきっかけは重なることもある。一方のきっかけが結果的にもう一方のきっかけに作用することもある。とにかくわたしはパステルな空気のもと、いくらか神経質そうな文学青年がそのポケットにしまっているようなフランス詩集を傍に置きながら、純粋な気持ちで作品を書こうと思った。19歳のことだった。
多くの場合、ほこりが被った卒業文集というものは自分自身のこころの奥底を覗かれているような落ち着かない不穏な空気をまとうものである。自分の世界がどこまでも続くように感じていた頃に書いたものほど、見返したときにその胸の奥に独特の色合いのリボンをきつく締めるものはない。思春期特有のプラトニックな憧れはそれが理想に過ぎないことを教えてくれるまでに多くの経験という課題を与える。その課題を生真面目にこなした結果、そこで得られるものはあの憧れそのものが「理想」であったという虚ろに近い感覚だ。それはある種の恥じらいの感覚でもある。それでも、その恥じらいのようなものとは、わたし自身の道のりとも言えるのかもしれない。わたしが生きてきて、現在の地点から過去に置いてきたわたしを見ることで、その距離の長さに「よくここまで歩いてきたものだ」と驚きを隠せない。そして、遠くの過去に置いていかれたわたしは物理的距離によって小さく見える。過去と現在の間にあるその距離を埋めることによって、わたしは過去のわたしを実物大の大きさで目の前に見ることができるのだろうか。遥か彼方に見える小さなわたしの中には、どこまでも広がる世界がまだあるのだろうか。「卒業文集」は15年前の春休みにタイムカプセルとしてしまった。
「愛することとは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ」と語ったのは吉行淳之介であったように記憶している。さて、その分身はわたしと同じ世界を本当に見ているのだろうか。そのように考えると、世界に対して寂しさを感じることがある。それは年老いた、モノトーンなある種の諦念のように見えることもあるかもしれない。わたしとあなたが個々の人間である限り、わたしとあなたの世界が同一のものになることは想像できない。自己が見ている世界と他者が見ている世界は違うものなのである。この意味することは極めて明晰である。ひとはどこまでも孤独な存在であるということだ。楽しいときを過ごしていたとしても、平穏な日々を過ごしていたとしても、そして、悲しい瞬間を過ごしていたとしても、いつの日かやってくる世界の終末をわたしたちは孤独に迎えなければならない。絶対的な孤独につつまれた終末を見るのは、ただそのひとだけなのだから。その世界の終わりの瞬間に、わたしを取り囲んでいる境界線はかたちを見失い、そのぼんやりとした空気の中にただただ還元されるのだろう。
2年前、父が死去した。その死に際して、さまざまな手続きのために車で移動していると、ラジオから流れてきた場違いなほどに爽やかな音楽と外から入り込んできた晩秋らしい爽やかな空気が、終わってしまった日常のことをわたしに突きつけた。父はもうこの音楽を聴くことができず、そして父はこの車からの風景を見ることができない。そう思うと、無性に胸の奥から特殊な哀しみに似たものが湧き上がった。そのときようやく父の不在を知ったのだと思う。いつかわたしの世界が終末を迎えるとき、そのとき、わたしはなにを思うのだろう。そのとき、どのような音楽を聴きたくなるのだろう。そしてそのとき、誰の顔を見たくなるのだろう。
15年前に埋めたタイムカプセルを、決意をもって開けようと思ったのは、当時同じ時間を過ごしたあるひとからのことばがきっかけだった。そこには「卒業文集」があり、その中には初々しいまでにガラス細工でできあがったイノセントなわたしがいた。この作品を15年前の春休みに大学棟の2階の片隅にある小さな部屋で、演奏してもらったことを記憶している。
そして、そこに書かれたメロディを現在のわたしが鳴らしてみると、さまざまなことが現前する。音楽の上に蘇る淡い色彩が施された世界の中で、あの瞬間にモノレールから見えた鮮やかなふるえるような夕焼けも、彼女と行ったいまはなくなってしまった喫茶店のもくぞうの匂いも、そしてわたしが初めてかのじょに声をかけたしゅんかんの多くのためらいとわずかながらの勇気さえも―たとえそれが、思春期にとくゆうのプラトニズムに彩られたL’aspiration、憧れゆえのためらいであったのだとしても、どうしてもひつようであった、ゆうき―、すべてがいま、めのまえに、あらわる。
どこで発表するのか何も決まっていない音楽をわたしは少なくとも彼女と共有することができていたように思う。こんな気持ちを感じてしまうわたしには、そのよみがえった世界が今はもはや無くなってしまったことに涙を禁じ得ない。探してみたとしても、今この世界にあるものはあの世界の形跡に過ぎない。この耐えられない感情の切なる重さをわたしはわたしの感受性ではどうしても上手くことばにすることができない。もしかしたら、わたしの世界が終わりを迎える瞬間に見たくなる風景は、この15年前の失われた世界なのかもしれない。
しかしながら、静かに崩れ落ちていく世界の破片を目の前にしたとき、そこにやってきたものは虚な理想そのものであった。わずかながらも共有されたかのようにわたしに思われた世界と世界はただの理想に過ぎなかった。
それでも、あえて今わたしは、人生の道の半ばで正道を踏みはずしたダンテの言葉―読者よ、――どうか君の立派な決意を翻さないでくれ―と、時日を経ることによってようやく得られたわたしのわずかな強気に似たものに精神のすべてを委ねて、気丈にこころして言う。
決して世界に対して絶望してはならない。
文字通りの「世界」に一瞥すると、そこには純なる愛らしさが満ちている。そのことを考えるといかにわたしが小さな世界に自ら境界線を作って閉じこもっていたのか思い知らされる。
それであれば、わたしはその世界の端から端まで渡っていきたい。オスロで迎える研ぎ澄まされた切れ味の春を感じること、クアランプールで迎える多くの水分と独特の油分につつまれた夏を感じること、ベルリンで迎えるどこまでも切なく感傷的な秋を感じること、そしてニューヨークで迎える底抜けに賑やかな冬を感じること、どれをとってもうつくしい世界、その世界をみずから作り出し見つめつづけるのであれば、目の前の小さな世界のことなんかばからしく感じてくる。どこまでもゆっくりと、じわじわと、そしてたしかに広がるかけがえのない世界、それだけが信じることのできるものなのかもしれない。
白いシャツにコーヒーをこぼしてしまったせいで、わたしは洗面所を探し京都駅をさまよう。落ちないコーヒーのしみは、水に浸すことによってにわかににじんでいく。ゆっくりと、じわじわと、そしてたしかに。白い下地との境界線を見失っていくコーヒーのしみ、そのように世界のなかでもし自己と他者がとけあうのであれば、たとえそれがひとときのとけあい、一瞬のとけあいだとしても、一瞬にやどる永遠、それは、いくら別の第三者が水にひたしても消えないだろう。
輪郭のある日差しが注がれている京都は、どこまでも晴れていた。現在目の前にいるひとと向き合うと、失われた過去の時間が瞬間によみがえることがある。相変わらず不器用なわたしにそのひとは、時日を経ることによって生じる多少の外見の変化こそあるとはいえ、その大切な部分は変わらずに残されているやさしい笑顔を向ける。その時、わずかながらも世界と世界は同じまなざしを共有することができる。よみがえる世界に、過去と現在、その共鳴―La résonance―が、聞こえてくるように感じた。